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美術について
■ココは、私(津村カツシ)のアートシーンを振り返りながら、いまのメディアの持つ意味を創作という面を通して考えてみたいページです。
もっともあまり堅苦しい発想ではなく、ちょっと風変わりな作品が多いので(コンセプチャルからビデオアート、)それらを少々紹介できればと思っています。
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■美術というジャンルが、今どう変遷しているのか、日常生活から感じることはぼくにはほとんどありません。皆さんはどうでしょうか。
画廊でやっている展覧会がおしなべて美術かというとちょっと疑問ですね。
日常的にはデザイン(建築や環境、都市計画、書籍や商品デザインなど)が果たしている役割の方が生活に密着した美術なのかもしれませんね。個々の表現の発露として表現手段は限りなく広がり、何でも出来そうな可能性を帯びている中で、ジャンルに制限されない自由な表現の場はより個人的なこだわりの発想が必要になり、従来在ったような社会的なうねりのような美術としての動向は感じにくくなっているのかもしれないですね。
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■別に美術が在ってもなくても困らないのですよ、イマは。
美術は字で見ると「美しくする術--すべ--」なのですね。そういった伝授的な術は繰り返し行われる修練である程度は拾得できることでしょうが、卓越した術というのは訓練で芽生えるものでなく、こだわりや生き様で出てくる感性のような気がします。
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■作品を見て感動することがあります。それは、きっと作品もすばらしいのでしょうが、それよりもあなたの感動の基点がその作品と共鳴する何かを得たからではないかと思うのです。あなたがその感じる到達点に来ているから「感じた」のだと思うのです。
感じるということがある限りアカデミックな美術の影が薄くなっても、私たちの美術=「アート」はあるのだと思います。
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■私は現在テレビのディレクターを生業としています。そのなりそめとしてビデオ関連の作品を作り出したのは、1977年頃よりコンセプチャルアーツとの兼ね合いで使い始めたビデオ機器が大変におもしろく感じたからでした。
それは、時間を記録すること、電子機器が作り出すイメージの変容の容易なことがキーポイントでした。
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■そして、テレビをブラウン管という「物体」としてとらえると、これは非常におもしろいメディア=道具として作品の中におくことが出来るようになったのです。これからも、もっともっと新鮮な驚きのメディアを楽しんでいきたいものですが、何か限りが・・・・。
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